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夫婦対談「クワズイモのくらし」

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私は、2006年8月1日、第一子を妊娠9週で繋留流産、2007年8月13日、第二子を子宮内胎児死亡のため妊娠34週で死産しました。泣き声をあげることのなかった子どもに、もう一度会う旅を続けています。

2012年08月28日

コナツに会いたいという気持ちは消えない。玉のような息子をかたわらに、もう一つ新しい命を求めている。

すぐに検査薬は陽性を示した。いつもの感触だ。そして不安。これもそう。

もう長く世話になっている大学病院の産科がある新館へ行った。ほどなくして命が形になっていないこと、そして、胞状奇胎という病名を告げられた。すぐにでもお腹の中を正常な状態に戻すことが必要だという。入院と手術の準備をして、婦人科の旧館へ向かう。また、ここへ舞い戻ってきた。少しリフォームの手を加えただけの年期の入った病棟だ。それでも懐かしさで、新館より居心地がよく感じられる。

やれやれ。私はいつここから抜け出すことができるのだろう。

手術はいわゆる掻爬で、同じ手術を二回行う。胞状奇胎はホルモン値の異常な高騰とともに、ひどいつわりや出血があるというが、私の場合、ホルモン値は高いが、身体に感じる症状はない。新しい命への期待、次なる母性の目覚めを、いつものやり方でなきものにして(要はめそめそしていたわけです)、なんとかやり過ごしたのはもう2〜3週間も前になる。だから傍目には元気なものだ。手術の全身麻酔のおかげで、私の身体に何か施されたという感触すらない。術後の少量の出血と麻酔が残した眠気くらいだ。

今朝、二回目の入院で病院に向かう。

息子が元気で、今日も朝から私の作ったブルーベリーの蒸しパンをもりもり食べていること。夫が夏休みを利用して退院までの三日間、私に付き添ってくれること。これよりもさらなる幸せはあるだろうか。

それにしても、今回の病気、二度の初期流産、子宮頸管無力症、そして死産。全て関連性はない。全て「防ぎようのなかった」事故のようなもので、4人に一人はあるという初期流産を除けば、「なかなかないことですよ」と言われる珍しい症状だという。夏空の入道雲を眺めながら、その「なかなかない」症状に対し何らかの処置を受け、青々とした木々に囲まれた自宅へ戻る。それはいつも夏だ。来年はサマージャンボでも買ってみるかと、力ない冗談も出てくるくらいだ。どうやら充実した我が人生の、ここがウィークポイントのようだ。

あきらめない。 コナツに会えるという果てない自信が、私を動かしている。特に根拠のない自信だ。でも私についての自信は私が持っていればそれでいい。根拠はいらない。今までだって私はそうやって生きてきた。あきらめる理由が一つも見つからない。